月曜・火曜と神島に行ってきました。週間天気では雨か曇りだったので船が欠航しないかとか船酔いしないかとか心配でしたが大丈夫でした。快晴で昼には島一周できました。1周4キロなので1時間くらいであるけます。灯台がたまたま点検中で特別に中に入らせてもらいました。年1回しか公開していないみたいで。かなりラッキーでした。愛知県の渥美半島が鳥羽より近いのでよくみえました。漁師と海女(あま)の町っていうイメージでした。日にやけた人が多かったです。島の診療はゆったりとしていて、とても人間味あふれる良い雰囲気でした。先生もやさしい方で、針・灸をされているんですが、実際自分もやってもらいました。貴重な体験でした。神島は最近水疱瘡(みずぼうそう)がはやっているようでした。子供たちは数はすくないですがちゃんといます。ほら貝の刺身がとてもおいしいです。もしあったらぜひ食べてみてください。たった2日間でしたがバカンスできた感じでした。
2010年6月の記事
1月22日(震災後6日目)午前
午前7時起床。朝のミーティング。活動本部を夙川小学校に置くこととし、人も資材も車両もすべて夙川小学校に集結し、そこで改めてミーティングを行い活動を開始することとした。夙川小学校への道は、所々崩れたりひびが入ったり、家が倒壊していて道を塞いだりで、なかなか地図通りには行かない。車を駐車した運動場には大きな亀裂が走っている。メンバーは早速診療を開始している。聞けば、地震以来近所で小児科を開業しておられる先生がずっと毎日診療していて、引継をしたとのことであった。感謝され、困ったことがあれば何でもどうぞという、ありがたい。
本部として提供していただいた教室で早速ミーティングにはいる。まず、夙川小学校に避難されている人数は800~1000人で、昼間は壊れた家の後かたづけなどに行ったりしていて昼と夜の人数は異なり正確に把握はされていないとのこと。そして、今後の活動として、1.現状把握として校内を隈無く回り、避難場所と人数のは把握、支援の状況、何が使えるかを調査する。2.学校周辺の状況把握と開業されている先生への挨拶周り、および午後から行う予定の北夙川小学校調査および目に付く避難所まわり。3.当直を行う予定なので、当直場所、夜間診療場所の設営。4.持ってきた医薬材料品のチェック。5.そして、最小限の医薬材料品を持っての神戸方面への調査隊の出発等を行うこととし、全員が活動を開始した。
そんな中、今後の診療所のあり方について考える。まず必要なのは看板。ただし、自治医科大学の名称をいれることについては、何もしていないのに書くのもおこがましく、またボランティアであるとの立場として表示することは不適切と考え、やめる。診療体制は、需要状況がつかめていないので、まず十二分に医師を配置することとし、日中は医師二人が常時診療にあたり、診療時間は午前10時から午後7時までとし、校内の巡回は一日二回、夜間当直は不慣れな場所での初めての当直ということで3人体制を敷く。また、学校周辺の巡回も行うこととするなどを考える。
そのうち、学校周囲回り担当のS教授が帰ってきた。周囲の開業の先生方はとても協力的で、レントゲン装置が使用可能で必要なら使っていいとの話もあり感謝。またもや、少しずつ協力してもらえる人が増え、診療の内容も充実できる可能性が出てきた。
昼食は持参したインスタント食品ですます。学校には救援物資が十分届いている。避難されている方々の方がよい食事をしているようだが、どうしてもそれらをもらう気にはなれない。持参した薬剤の中に肝腎の風邪薬と抗生物質がほとんど含まれていないことが明らかになり、あせる。
少し診療を行う。診療内容自体はいわゆる軽症が多く、へき地の診療所となんら変わりがないが、どことなくおかしい。何かと考えてみると、なんと、受診される人達に笑顔がないのである。どことなく無表情で、笑うことを忘れてしまっているかのように思える。いつも、私が診療でよく使う下手な冗談などとても言えるような状況ではない。しかし、こちらが余裕を失ってはいけない。むつかしいが、こちらができるだけ笑顔を作るようにしよう。
午後に西宮市中央体育館でのミーティングに向かう。救援物資として薬剤が届いているとのこと。しかし、とても分類したり整理したりしている余裕はないので、自由に持っていってもよいとのこと。よし、薬剤補給先が一つ確保できた。ミーティングでは、これまで活動が医療中心であったが、老人の看護・ケアといった福祉の部分へ問題がシフトしてきており、さらに予防も重視しなければいけないということ、また、小さな避難所は十分に把握されておらず、こまめな巡回が必要なことも指摘された。さらに驚いたことに、西宮市民病院では、患者がほとんどこなくて医者が余っており、しかも、水道、ガスが使えないために手術はできず、重症患者も受け入れられないためベッドも余っているとのこと。明らかな疾患がなくても、ケアが必要な老人などがいたら、紹介状だけで直接入院させてもらえるとのことであった。バックベッドが確保できた。うれしい。ある医師が「病人を待っている限りでは、医師はいらない。」と言った。肝に銘じよう。診療所でただ待っていたのではためだ。どんどん外にでよう。
午後10時、やっと宿舎にたどり着く。夜のミーティングスタート。東灘区の状況は西宮市よりさらに深刻で、大きな避難所は診療はできてはいるものの、毎日診療する組織が異なるなどの問題点があり、小さな避難所に至ってはその場所すらも把握されていないとのことであった。避難所の場所については、食料などの救援物資は届いているのだから、そちらからリストをもらえれば、容易に把握できるのに、それすらもできていないとのこと。やはり相当現場は混乱しているらしい。とにかく、明日も巡回を繰り返し、常設の診療所が必要なら設置も考慮して行動することとした。
またまた、みんなが寝静まるのを待って、余った毛布をかき集めて眠りにはいる。
紀南病院に来てまもなく1か月が過ぎようとしています。いろんなところから研修医が来て、研修内容も給料も生い立ちも違うメンバーが短い間、同じ病院で研修するのは刺激的でした。病院によるシステムの違い、診療の違い、指導体制の違い、給料の違い等々さまざまなことを、いろいろぶっちゃけ話で話合い意見交換できたのはとても面白かったです。地域医療研修は良いことばかりではありません。地域医療の現状をまざまざと見せつけられる場面もいくつか経験しました。救急外来で各科にコンサルトできないときの医療訴訟のリスク、医師不足が原因で生じる一人一人の仕事量の多さ、そういったものはないといったらウソになると思います。地域医療だからこそ家族とのつながりが非常に大事で患者さん、患者さんの家族から都会以上に感謝されるのも事実です。そんな現実も一度自分の目でみて、感じないとわからないと思います。なので全国の地域医療に興味がある人もない人もここ紀南病院で実習なり、研修なり、就職なりしてみてはいかがでしょうか。百聞は一見にしかず。『ちいきは人をステキにする』これが紀南病院研修のモットーです。ぜひ一度紀南病院にきていろいろ感じてください。ドリアンもたべてみないとおいしさがわかりません。写真は熊野古道25km歩いてたどりついた熊野本宮大社の3本足の「ヤタガラス」の前で研修医4人で撮った写真です。「ヤタガラス」は幸福に導いてくれるカラスで今話題の日本代表のエンブレムの素材です。僕らも本宮大社に日本代表の勝利を願ってきたのでベスト16に今日なれました。当直中にサッカーみたので眠いです。
竜巻に吹き荒らされた様な部屋の中からテレビを拾い上げる。
映らない・・・。壊れたのか。
ラジオ。
聞けない・・・。壊れたのか。
何の情報も無い。
部屋を片付ける気力も無い。
疲れだけが押し寄せる。
壁にもたれかかり座ったまま眠る・・・。
電話の音で目が覚める。
両親からだ。
「無事か?ずっと電話をかけ続けていたが回線が込み合ってつながらなかった。
神戸で大きな地震があったと報道されている。阿田和も凄い揺れだった。」
地震であったとようやく確信が持てた一報であった。
これから友人達と集まりともに過ごす事を告げ電話を切る。
眠っていたせいか喉が渇く。
コップを探し蛇口をひねる。
水が・・・・出ない。
なんで・・・。さっきはシャワーも出たはず。
慌てて台所、洗面所、トイレ・・・次々と蛇口をひねるが水は出ない。
うつ伏せになった冷蔵庫を持ち上げて飲み物を探す。
卵、惣菜、調味料、全てが押しつぶされている。
ベトベトになった1本の缶ジュースを見つけてむさぼり飲む。
電気はどうだ。
希望むなしく電気もつかない。
何で・・・。
状況を理解できない。
そしてまた来た。
大きな揺れ。
やっぱり駄目なのか・・・。
絶望のどん底である・・・。
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:センター長 奥野
:事務部長 久保
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